この世は全て催眠?

この世は全て催眠?

へっぽこが催眠を掛けるとき、被験者にこんなことをよく言います。
『社会生活が営める人なら確実に催眠に掛かります』
さて、これは本当でしょうか?

この言葉の説明として、へっぽこはこんなことを言います。
『あなたは生まれてすぐからある名称で呼ばれ続けて、その結果としてそれを名前として受け入れたでしょ?これが催眠ですよ』

詭弁のように聞こえるかもしれませんが、へっぽこの主張はある意味で真実を突いています。
例えば赤信号を思い浮かべてください。
この単なる電球(最近はLEDタイプが主流ですが)は我々にとって非常に強力な催眠であることにお気づきでしょうか?
小学生以上の日本人のほぼ全てが、これが点灯しているだけで足が止まるという運動支配の暗示に掛かっているのです。
俺は自動車に轢かれないために足を止めているだけでそんな暗示には掛かっていないと主張するかたもいるでしょうが、深夜の全く交通が無い道路ですら赤信号のときには多少躊躇する気持ちが湧いてくるのではないでしょうか。

このように、人間社会というものは物や人物や行為に対して少なからぬ意味を持たせており、その意味によって人間の行為や感情に大きな影響を与えています。
催眠術というのも、人間の行為や感情に影響を与える技術ですから、この世は全て催眠である、という主張もあながち間違いとは言えないでしょう。
実際、このように主張している催眠術師は数多くいます。

とはいえ、この主張はマクロ過ぎて、あまり意味を持っていません。
この世は全て夢幻であるとか、この世は全て数学であるとか、この世は全て無意味であるとか、そんな中2病的な主張とレベルが変わらないからです(笑)

ただ、ここでへっぽこが主張したいのは、社会生活を営む上では暗示に掛かるのは必要なことであり、その能力を有した人が催眠には掛からないのはおかしい、ということです。

では何故、被暗示性という言葉があり、催眠に掛かりやすい人、掛かりにくい人が実際に存在するのでしょうか。
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